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2015-11-12 (Thu)


10月31日の明け方
徳島のバァバが亡くなりました。

今から3年前の2012年。
ゴールデンウイークにみんなで遊びに行って
大阪へ帰った途端、バァバが自転車でコケて
入院することになりました。

そこから一時は危篤状態にまで陥り、
miyaとサッチ(miya家長女)は、母親と交代しながら
病室で、ずーーーっと付き添っていました。

意識不明だったバァバ。

もうダメかとも思いました。

あまりにも急過ぎて、みんな混乱して。

いやだいやだいやだいやだ。
こんな急にバァバとサヨナラするなんて
絶対いやだいやだいやだ。

そんな思いが通じたのか。

サッチと夜中付き添ってる時、
バァバの意識が戻りました。

ちゃんとmiyaだってわかってくれて。
手も握り返してくれて。

あぁ。
もう大丈夫だ。

そう感じて、心から安心したのを
覚えています。

そこからの3年。

miyaの母ふーみんとその妹2人の
三姉妹でチカラを合わせ、

数週間ごとに交代で徳島へ行き
バァバのお見舞いや、ジィジの生活の
サポートなどをしていたのが、半年ほど。

転倒による怪我が完全回復してからは
入所待ちの老人ホームに
何度も掛け合い、何とか次に入所させて
もらえないかと頼みこむ日々。

要介護認定を受けたこと、
バァバは車椅子メインの生活になり
ジィジと2人で自宅療養は難しいこと、

すべてがちゃんと認めてもらえて
晴れて老人ホームに入所できました。

ジィジは、毎日、朝昼晩とお見舞いに
行き続けました。

バァバは前みたいにスタスタと歩けないし
疲れやすい身体になっていたので
孫たちと出かけることも困難になりましたが

相変わらずパンや甘いもの大好きで。
ジィジとクチ喧嘩もするし、
これやってーあれやってーなんて
娘や孫たちにワガママ言えるくらい
元気になっていました。

まとまった休みには、孫たちが
バァバの施設に集まり
お誕生日会や施設のイベントを
バァバとジィジと共に過ごしました。

ジィジとのクチ喧嘩も少なくなり
施設では2人で手をつないで写真を撮ることも。

このまま2人とも、もっともっと
長生きしてくれそうだなーと安心していた時。

バァバが肺炎にかかり、
施設では処置できないため
病院へ入院することになったと
連絡が来ました。

肺炎は、高齢者の死亡原因3位だったかな。
とにかく抵抗力のないバァバには危険な病気。

母ふーみんは、すぐに徳島へ駆けつけました。

その時は、少し元気がないバァバだったそうで。
でも命に別状はなさそうとのこと。

投薬で少し様子を見ないとね、ということで
母ふーみんも大阪へ戻っていました。

そこから1週間も経たないうちに
状態が悪化したと連絡があり、
母ふーみんと、長女サッチが徳島へ。

その状態がどれほど緊迫しているのか
よくわからず、仕事を休んで駆けつけるか
どうか悩みました。

金曜日だったので、とにかく今日は仕事へ行き
翌日の土曜日のアサイチで行こうと考えていて。

金曜日の朝、
いつも通り、会社が入ったビルの1Fへ到着。

その時、ふとサッチに電話してみようという
気持ちになりました。

母ふーみんは、何か更に異変があってから
駆けつけてくれたら良いから
状況報告を待っててくれたら良いよって
言うんですよね。

でも、娘に気を遣ってるのが分かります。

ここは正直なところを、サッチに
聞かないとなーと思い立ち
事務所へ行く前に電話をしました。

そしたら、サッチは泣いてました。

「もうおばあちゃん、ダメなんかも…」
って、泣いてるんです。

あー
翌日のアサイチとか悠長なこと
言ってられないんだ、やっぱり。

その場で、徳島行きのバスの空きを確認し
事務所へダッシュして、同僚に事情を話し
その日入っていたミーティングなどは
全て同僚にお願いして

急遽、有給にして徳島へ向かいました。
スーツのままで。

バスの中で、ずーっと
私が行くまで生きて待っててよ、バァバ!!
って、ずーっとずーーっと祈っていました。

徳島に到着し、サッチが迎えに来て
くれたので、すぐ病院へ。

病室に入って、ビックリ。

バァバは、自分で呼吸すらできなくなっていて
呼吸器で何とか息をしている状態でした。

サッチが到着した夜中あたりは、
この呼吸器をつけていても、呼吸が苦しくて
本当に苦しそうにもがいていたそうです。

あらゆる薬を投与しても、状況は変わらず
これが最後の投薬になりますと、
医師に宣告されたものが、少し効いて。

miyaが着いた時には、
まだ穏やかな方だったみたいです。

ただ、その投薬が効かなければ
もう投薬をできるものがなく
その時は諦めて下さいと言われたそうです。

つまり、最後の延命治療でした。

薬で意識朦朧としていたバァバですが
「バァーチャンmiya来たよー!!わかるー??」
って話しかけると、コクンとうなづいてくれます。

手を握ると、不安なのか
ずーーっと握りしめていました。

それにしても、呼吸器により
身体全体で大きく息をし続けているバァバ。

この状態で、いつまで体力がもつのだろう。
それは、そう長くない気がしました。

でも会えて良かったな。
ただ、それだけ感じました。

正直、この状態が明日も3日後も
続くのかわからない。

着の身着のままで駆けつけたmiyaは
母親になだめられて、一旦サッチと
大阪へ帰ることにしました。

おそらく、夜中から明け方にかけて
山場だろうなと思っていました。

母親になだめられたとは言え
帰ることを決めたのは自分です。

翌朝目がさめると
母ふーみんからメールが入っていました。

明け方、バァバが亡くなったよって。

バァバ、生きようって必死に頑張ってたのにな。
帰り際、「またすぐ来るから、それまで
頑張って回復しててよ!」って話しかけたら
力強くコクンとうなづいてたのにな。

そこから、悲しくてイッパ泣きました。

朝起きて、しくしく泣いてるmiyaに
「miyaちゃん、良かったね。
生きてるおばあちゃんに会えたもんね」
って、山口さん家のツトムくんが
言ってくれました。

その時、ハッとしました。
勝手な思い込みだけど、miyaがバァバに
会えるまで、バァバ頑張ってくれたんだなって。

本当に、本当にありがとうバァバ。って
悲しかった気持ちより、感謝の気持ちが
大きくなりました。

そこから、山口さん家のツトム君と
徳島へ行き、お通夜とお葬式に参加しました。

バァバの姿を見た時、
「あ、空っぽだ」と感じました。

昔は、亡くなった遺体を見て
まだ生きてるんじゃないか
ここにまだその人はいるんじゃないか
まだ連れていかないで神様!なんて
思っていましたが

何故だか今回は全く違う感覚で。

あ、ここにバァバはもう居ないやー
って感じたんです。

本当に、人間のカラダって、うつわなんだなって。
バァバは重たくてしんどいカラダから
出て行って、自由になったんだなーって。

残された人は、大事な人が居なくなっても
この世で生きていかないといけない。

「生きがいがなくなってしまった」って
ジィジは、ずっと泣いていました。

そうだよね、
365日、毎日、3回バァバに会いに行ってたもんな。
徳島でヒトリになっちゃうもんな。

miyaたちとは比べものにならないくらい
寂しくて、悲しくて、つらいよな。

これからジィジを、娘や孫、
その家族で支えていかないと。

毎年夏に遊びに行っていた徳島。

バァバにはもう会えないんだと思うと
本当に寂しいですが
生きているジィジを、みんなで守って
いきたいなと、改めて感じました。

同時に、この世で一緒に過ごせるのは
親も兄弟も旦那も
ほんのわずかな時間だけなんだと。

だから、ヒトも自分も大事にして
わずかな時間を生きていきたいと
強く思いました。

そう思わせてくれたバァバに
感謝しっぱなしのmiyaです。
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